2025
07.22

なぜ「利他的行動」が子孫に継承されるのか? 人間の生命観を覆したドーキンスの名著『利己的な遺伝子』の核心とは | Japan Innovation Review powered by JBpress

PODCASTネタ

大企業の経営幹部たちが学び始め、ビジネスパーソンの間で注目が高まるリベラルアーツ(教養)。グローバル化やデジタル化が進み、変化のスピードと複雑性が増す世界で起こるさまざまな事柄に対処するために、歴史や哲学なども踏まえた本質的な判断がリーダーに必要とされている。本連載では、『世界のエリートが学んでいる教養書 必読100冊を1冊にまとめてみた』(KADOKAWA)の著書があるマーケティング戦略コンサルタント、ビジネス書作家の永井孝尚氏が、西洋哲学からエンジニアリングまで幅広い分野の教養について、日々のビジネスと関連付けて解説する。今回は、進化生物学者リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を取り上げる。ダーウィンの進化論では説明できなかった、生き物が自分を犠牲にして仲間を助ける行動。その謎を解き明かし、私たちの生命観を大きく変えた理論とは?

情報源: なぜ「利他的行動」が子孫に継承されるのか? 人間の生命観を覆したドーキンスの名著『利己的な遺伝子』の核心とは | Japan Innovation Review powered by JBpress

大企業の経営幹部たちが学び始め、ビジネスパーソンの間で注目が高まるリベラルアーツ(教養)。グローバル化やデジタル化が進み、変化のスピードと複雑性が増す世界で起こるさまざまな事柄に対処するために、歴史や哲学なども踏まえた本質的な判断がリーダーに必要とされている。

 本連載では、『世界のエリートが学んでいる教養書 必読100冊を1冊にまとめてみた』(KADOKAWA)の著書があるマーケティング戦略コンサルタント、ビジネス書作家の永井孝尚氏が、西洋哲学からエンジニアリングまで幅広い分野の教養について、日々のビジネスと関連付けて解説する。今回は、進化生物学者リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を取り上げる。ダーウィンの進化論では説明できなかった、生き物が自分を犠牲にして仲間を助ける行動。その謎を解き明かし、私たちの生命観を大きく変えた理論とは?

説明できなかった働きバチの利他的行動

前回、ダーウィンの『種の起源』を紹介したが、実は進化論には説明できない現象があった。働きバチは仲間を守るために巣を襲う敵を針で刺す。しかし、針で刺すと、働きバチは内臓が体外にもぎ取られて死んでしまう。また働きバチはすべて不妊なのに、女王蜂や幼虫の世話をセッセと行う。こうした行動は、自分という個体を犠牲にしている。

ダーウィンの進化論では、ある遺伝子が促す特定の行動で、その個体の生存確率がわずかでも高くなる場合、膨大な世代を経てその個体の遺伝子が子孫に代々受け継がれ、その個体が持つ遺伝子が主流となり、生物は進化する、と考える。

しかし、働きバチの利他的行動を促す遺伝子は、その個体の死をもたらすので子孫には受け継がれないはずなのに、この利他的行動は代々受け継がれている。ダーウィンの進化論は、この現象を説明できなかった。そこで登場したのが、進化生物学者リチャード・ドーキンスである。彼はこう言った。

「生物は、利己的な遺伝子の乗り物に過ぎない」
「生物の利他的行動は、この利己的な遺伝子のおかげだ」

ドーキンスの遺伝子中心の考え方は、従来の生命観とは真逆。このため誤解を招き、当初風当たりも強かった。

 しかし、今ではドーキンスの「利己的遺伝子論」は広く受け入れられており、私たちが生命を理解する上で必須となっている。1976年刊行の本書は、ドーキンスが35歳のときに自分の思想を一般向けに書いた一冊であり、改訂を繰り返して2016年には40周年版が出た。本書は600ページ近くの大著で、読み解くには生物学の知識も必要だが、できるだけかみ砕いて本書のハイライトを紹介していこう。

遺伝子は生物を「乗り物」にして進化を続けた

「生物は利己的な遺伝子の乗り物」という概念は一見難しい。しかし、30億~40億年前に生命がいかに誕生したかを考えると分かる。以下の図で説明してみよう。

出典:『利己的な遺伝子』を参考に筆者が作成
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① 原始のスープ

生命誕生前の地球には、生命の源となる水、二酸化炭素、メタン、アンモニアなどの単純な分子があった。化学者が試しにこれらをフラスコに入れ、原始時代の地球を再現するために紫外線(太陽光線)や電気火花(稲妻)を与えると、フラスコの底に複雑な分子・アミノ酸が合成された。

アミノ酸は生命を形成するタンパク質だ。原始の地球でも、海の中で似たような現象が起こっていた。ドーキンスはこれを「原始のスープ」と呼ぶ。

② 自己複製子の誕生

原始のスープの中で、あるとき偶然、自分自身をコピーする能力を持つ特別な分子が現れた。ドーキンスはこれを「自己複製子」と呼ぶ。こんな奇跡は、数百年程度の時間ではまず起こらないが、数億年という膨大な時間があれば起こり得る。当時の地球には邪魔をする他生物はいないので、自己複製子は猛烈な勢いで増殖し始めた。

③ 変異種の誕生

自己複製子はコピーで増殖するうちに、時折コピーミスで「変異種」が生まれた。変異種の中で、より複製しやすい性質を持つ変異種は、元のより複製しにくい種を急速に置き換えていった。これが初めての進化である。このように生物進化の本質はコピーミスなのだ。

④攻撃する自己複製子の誕生

他の種を攻撃する変異種が生まれると、従来種は急速に駆逐された。

④ 防御する自己複製子の誕生

自己複製子は、自分の周囲を薄膜で包み、攻撃を防御するように変異した。これが最初の生きた細胞だ。従来の攻撃は効かなくなり、従来の種は置き換えられていった。こうして自己複製子は急速に進化し続け、形を変えていった。

⑤ 現在

そして長い時間が経ち、現在に至っている。自己複製子は生物の細胞の中でDNA(遺伝子)として受け継がれている。DNAは遺伝子情報が書き込まれた生物の設計図だ。こうして遺伝子は生物という乗り物を乗り換え続け、原始の地球から現代まで形を変えて脈々と受け継がれている。これが「生物は利己的な遺伝子の乗り物」という意味だ。

 ドーキンスはこう述べている。「私たちは、遺伝子という名の利己的な分子をやみくもに保存するべくプログラムされたロボットの乗り物──生存機械なのだ」

こうして生物という乗り物を操縦してきたのが、常に自分のコピーを残すことを最優先に活動する利己的な遺伝子なのだ。遺伝子はコピーの形で、場合によっては何億年もの時間単位を生き抜いている。

利己的な遺伝子による「利他的行動」

冒頭で紹介したミツバチの利他的行動も、利己的な遺伝子の働きである。ミツバチやアリのような社会(集団)をつくる昆虫を社会性昆虫と呼ぶ。ハチの巣の社会は、1匹の女王蜂と、その他多数の働きバチで構成され、ほぼすべてメスだ。女王蜂は栄養を摂り続けて丸々と太り、ほとんど動かず卵を産み続ける。まさに卵製造工場。だから女王は働きバチの世話を受けている。

女王蜂は「生殖」、働きバチは「生殖以外の全作業」と役割を分担して、働きバチは子づくりもせずに女王蜂と幼虫(働きバチの妹)の世話で一生を終える。

「子どもをつくらずに世話だけ? 働きバチのメリットは?」と思ってしまうが、この方法が一番効率的に自分の遺伝子のコピーを残せる。その謎を解くカギが、血の濃さを意味する「近縁度」だ。

あなたは父親と母親の血を半分ずつ受け継いでいる。近縁度は母が50%、父が50%だ。祖父母は4人いるから近縁度は25%。同様にあなたの子どもは近縁度が50%で、孫が25%。近縁度が100%に近いほど自分の遺伝子に近く、遠い親戚ほど血は薄い。人間の親は、近縁度50%の子どもの遺伝子を残すために一生懸命守って育てる。

ミツバチの場合、巣の仲間たちの近縁度が異常に高い。これはハチが特異な性の決定システムと遺伝の仕組みを持つからだ。巣の中で、子を産む女王は1匹だけ。働きバチは、同じ女王蜂から生まれた姉妹同士だ。しかも少数しかいないオスは、メスの半分の遺伝子しか持たない。そこでミツバチの姉妹同士の近縁度を計算すると、図のようになる。

出典:『利己的な遺伝子』を参考に筆者が作成
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生物は、子どもが父親と母親の遺伝子を1つずつ受け継いでいる。女王蜂(母親)が遺伝子AとBを、オス(父親)が遺伝子X(メスの半分)だけを持つとすると、子は父親からはXを受け継ぎ、母親から遺伝子AかBのいずれかを受け継ぐ。この結果、子の遺伝子はXAとXBの2パターンになる。

2匹の姉妹間の近縁度は、2匹ともXAまたはXBならば100%(同じ遺伝子、つまり双子と同じ)、1匹がXAで、もう1匹がXBならば50%だ。平均すると、姉妹の近縁度は75%になる。

 つまりミツバチの姉妹の近縁度75%で、人間の親子の近縁度50%よりずっと高い。働きバチから見ると、妹である幼虫たちは私たち人間の子ども以上に自分に近いのだ。だから自分の遺伝子を守るために幼虫たちを世話して、巣を攻撃する敵からも身をていして守る。

これらの行動は、ミツバチの個体レベルの視点では利他的な行動に見えるが、遺伝子レベルの視点で見ると、遺伝子が自分のコピーを増やすための合理的で利己的な行動なのである。

こうした性決定システムを持たない他の動物でも、利他的行動は数多くある。動物の血が食料のチスイコウモリは、血を吸って巣に戻ると、吸った血を仲間に分け与える。自分という個体の存続を考えれば、貴重な血を分けずに自分で独占した方がよい。

しかし、動物の血を吸える機会は意外と少ないので、自分が飢える場合も多い。そこで血を分ける行動をする遺伝子を受け継いだ個体が生き残り、こうした利他的行動が定着したのである。

人間が新たに生み出した自己複製子「ミーム」

遺伝子の本質は原始のスープで生まれた「自己複製子」だが、ドーキンスは人間という種は「人間の文化というスープ」の中で新たな自己複製子を生み出している、とした上で、その自己複製子を「ミーム (meme)」と名づけた。gene(遺伝子)とギリシャ語のmimeme(模倣)を組み合わせた造語だ。

ドーキンスは「旋律や観念、キャッチフレーズ、衣服のファッション、壺の作りかた、あるいはアーチの建造法などはいずれもミームの例である」と述べている。ブッダ、孔子、ソクラテスの言葉は今も残っている。車輪は5000年前の発明だが、今も使われている。これらもミームだ。遺伝子とミームには、こんな違いがある。

【遺伝子】
生殖行為により世代から世代へ、DNAを介して複製される。個体の単位である。

【ミーム】
人間の脳から脳へ、言葉や文字を介して複製される。文化の単位である。

ミーム複製は生殖行動を伴わないので、遺伝的進化よりも格段に速く複製される。遺伝子が個体から個体へ渡り歩くように、ミームも人間の脳から脳へと渡り歩く。そして遺伝子と同様、ミームもコピー(模倣)で広がり、遺伝子がコピーミスによる変異で進化するように、ミームも模倣の途中で新しいアイデアを思いついた人によって進化する。

ブッダが残した原始仏教が上座部仏教と大乗仏教に分かれ、大乗仏教からさらに禅が生まれた過程も、まさにそうだ。私たちが死後に残せるモノは遺伝子とミームだが、自分の遺伝子は一世代ごとに半減し、100年も経てば忘れ去られる。

私も曾祖父母の記憶はほとんどない。しかしミームは、場合によっては何百年、何千年も引き継がれていくのだ。

一方で、人類は既にDNAを自由自在に書き換える「CRISPR」という技術も獲得している。これまで人類は遺伝子の乗り物だったが、今後、人類は遺伝子を完全にコントロールして乗り物として乗りこなせるのか? そんな視点を身につけるためにも、本書はぜひ挑戦してほしい一冊だ。

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