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日本人が見過ごす「精神科の闇」…なぜイタリアは精神科病院を全廃できたのか?有名カリスマ精神科医が起こした「大革命」(現代ビジネス) – Yahoo!ニュース
厚生労働省によると、国内の精神科患者数は入院と通院を合わせて614.8万人(2020年時点)となっており、日本人の20人に1人が精神科で治療を受けている計算だ。精神科のベッド数も、2022年10月1
情報源: 日本人が見過ごす「精神科の闇」…なぜイタリアは精神科病院を全廃できたのか?有名カリスマ精神科医が起こした「大革命」(現代ビジネス) – Yahoo!ニュース
厚生労働省によると、国内の精神科患者数は入院と通院を合わせて614.8万人(2020年時点)となっており、日本人の20人に1人が精神科で治療を受けている計算だ。精神科のベッド数も、2022年10月1日時点で約32万床あり、世界で一番多いとされている。 【マンガを読む】オペ室看護師が見た、衝撃の「生死の現場」 一方、イタリアでは今から25年ほど前に根こそぎ葬られてしまった事実は、ほとんど知られていない。(※以前は精神病院という名称が一般的だったが、2006年に行政上使用される用語として、「精神科病院」と改正されたため、表記は精神科病院に統一する。ただし大熊氏自身は、この呼び名の改革は精神科の醜い実態を隠す行為と考え、あえて精神病院という呼称を使い続けている)
「精神の闇を暴く改革」は1961年に始まった

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日本において精神科病院という存在は、「精神病患者が隔離・収容されている場所」というイメージを思い浮かべる人が多いかもしれない。 なぜイタリアでは、精神科病院を全廃することになったのか。著書に『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(岩波書店)などがあり、イタリア精神医療に詳しいジャーナリストの大熊一夫氏が解説する。 「イタリアの精神保健改革の歴史は、精神科医フランコ・バザーリア(1924~1980)というカリスマ的存在を抜きに語ることはできません。しかし、パードヴァ大学の精神医学教室で教鞭を執っていた彼は、1961年に37歳でゴリツィア県立マニコミオ(イタリア語で精神病院のこと)の院長に就任するまで、実は精神病院の実態について、まったく知りませんでした。 というのも、精神医学の研究者は精神疾患の患者のことよりも精神疾患そのものに関心を寄せている傾向が強いためです。この傾向は今でも世界中で見られます。 日本は今もそうなのですが、60年代ごろのイタリアの精神病院は、患者をベッドに縛り付けるのは当たり前で、監獄のような劣悪な環境でした。バザーリアは、非人道的な扱いを受けている患者たちを目の当たりにして、精神病院をぶち壊すために就任します」(以下の「」は大熊氏)
「精神病棟は治療の場にならない」
大熊氏によると、バザーリアの考えは以下のように要約できる。 人間を鉄格子の部屋に押し込めることを正当化する精神状態など、本来ない。精神病者による暴力は、院内での抑圧で引き起こされた結果であり、人間としての反応なのである。 つまり、それは精神病院が引き起こしているものであり、精神病院を廃止して人間的存在たりうる温かい状況で対話できれば、精神病者の暴力はなくなるのだ。 改革の手始めに、ガザーリアは自分の考えに賛同してくれる精神科医や精神科の看護師、臨床心理士などの同志を集めた。その後、精神病院の病床数を減らして、できるだけ入院させずに普通に外で生活させるような仕組みの構築を目指した。 当時約800人の入院患者がいたが、バザーリアは猛烈な勢いで退院させていった。 「1963年から68年までの5年間で入院患者を300人にまで減らし、家族のもとに帰れない人には住居を用意しました。300人のうち、医療が必要ない人たちを『オスピテ』(イタリア語でお客という意味)と呼び、完全な自由と食・住を保証し、入院者と区別したのです。これはのちにイタリア全土でも採用されました」
重病でも在宅治療が可能だと実証
しかし、マニコミオを管理するゴリツィア県当局は、患者の住居をつくること、精神保健センターを新設することに消極的だった。そのタイミングで、外泊した男性が妻の不貞を疑って妻を殴り殺すという不幸な事件が起きた。 「『バザーリアの思想が事件を誘発した』という理屈で、彼も裁判で刑事被告席に立たされるのです。無罪判決で終わったものの、院長を辞職することになったのが1969年のことでした」 バザーリアはロンバルディア州パルマ県立病院の院長になるが、職員組合と衝突する。そこへトリエステ県知事ミケーレ・ザネッティが現れ、トリエステ県立サン・ジョヴァンニ病院の改革をバザーリアに依頼する。バザーリアは、「カネは出すが口は出さない」を条件に、この申し出を受け、ここからトリエステの歴史が始まるのだ。 「当時の諸外国は、社会改革を求める若者たちが運動を起こした時期でした。それは日本にも飛び火し、東大・安田講堂占拠などで大学教育が1年間マヒするような事態にもなります。バザーリアはこの若者たちのエネルギーを活用します。精神病院の色に染まった医者の代わりに研修医を採用して、『自由こそ治療だ!』をスローガンに精神病院の大改革に乗り出します。彼は当時のヨーロッパでは、チェ・ゲバラに匹敵するほどの有名人でした」 それまで精神病棟への収容が中心だった医療システムを、地域精神保健サービス網に切り替えてゆく。ある数の入院者を外に出すと、それに見合う職員も外に出す、といった具合だ。1975年ごろには、精神科病院を全廃できる見通しが立つほどにまで改革は進んだ。 「注目すべきなのは、症状が重い精神疾患の人々でさえも在宅で支えられることを実証した点です。1978年、政治も動き、イタリアの国会は精神病院を全廃し、地域の精神保健センターに全面転換を図ることを決めた精神保健法(180号法、別名バザーリア法)を制定しました」
WHOも認めた地域精神保健システム
そして1980年、改革の中心だったトリエステは、精神科病院が完全に消えた世界初の都市になった。 当時、トリエステ以外の地域では、まだ旧来の県立精神科病院が残っていたが、これも以後の19年間で少しずつ機能を停止し、1999年3月に当時の保健大臣は、イタリアの精神科病院が完全消滅したことを宣言した。最盛期12万人もが収容されていた精神病棟が消えたのだ。 「WHO(世界保健機関)も、トリエステの精神保健システムを『持続可能な推奨モデル』と認定しています。これは『精神保健の革命』です。世界の誰もがなくせるとは夢にも思っていなかった精神病院を、世界に先立って完璧に廃止したのですから。世界中の人々が必要悪と考えていた、あの鬱陶しい収容病棟を、社会から放逐したのです。ベルリンの壁の崩壊のようなことが、精神保健の世界で起きたのです」 後編『世界が日本にドン引き「精神医療のおぞましい実態」…「精神科病院ベッド数は世界一、不必要な薬漬け治療」課題山積の現実』に続く。
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