2025
04.23

ベイフォータス、米国の10倍以上の薬価が許されるのか:日経メディカル

PODCASTネタ

ある感染症関連のメーリングリストで「高知県須崎市では乳児の希望者全員がベイフォータスの投与を無料で受けられる」ことを知り、思わず声が出てしまうほど驚いた。2024年5月に日本でも発売されたRSウイルス(RSV)感染症の抗体製剤であるベイフォータス(一般名ニルセビマブ)は、100mgの薬価が90万6…

情報源: ベイフォータス、米国の10倍以上の薬価が許されるのか:日経メディカル

 ある感染症関連のメーリングリストで「高知県須崎市では乳児の希望者全員がベイフォータスの投与を無料で受けられる」ことを知り、思わず声が出てしまうほど驚いた。2024年5月に日本でも発売されたRSウイルスRSV感染症の抗体製剤であるベイフォータス(一般名ニルセビマブ)は、100mgの薬価が90万6302円と極めて高いものの、1回の注射でワンシーズン有効の優れた予防薬だ。すでに米国では希望すればほとんどの乳児が無料で受けられるらしい。だが、高額療養費の上限引き上げが俎上(そじょう)に載せられるほど医療費増大が喫緊の課題の我が国では、そんなことができるはずがない。それが須崎市では無料でできるというのだから驚愕(きょうがく)せずにはいられない。この市はそんなにも裕福なのか。そして、同内容を報じた高知新聞を読んで費用のからくりを知った時、今度は椅子から転げ落ちるほど仰天した。

小児では抗体製剤が頼みの綱だが、その価格は……

 RSV感染症は成人が発症しても軽症で済むが(高齢者はその限りでないが今回は触れない)、小児にとっては死に至る病となり得る重要な感染症だ。

Lancet誌の2022年5月28日号に掲載された論文「Global, regional, and national disease burden estimates of acute lower respiratory infections due to respiratory syncytial virus in children younger than 5 years in 2019: a systematic analysis1)」によると、世界では5歳未満の小児の50人に1人がRSVに起因する感染症により死亡し、6カ月未満(生後28日~6カ月)では28人に1人もが亡くなっている。国立健康危機管理研究機構(JIHS)の国立感染症研究所の感染症情報提供サイトによると、日本のRSV感染症による小児の死亡数は2008~2012年の5年間で年平均31.4人(28~36人)と、決して小さくない数字だ(外部リンク:JIHS)。また、Clinical Infectious Diseases誌の2012年5月15日号に掲載された論文「Hospitalizations Associated With Influenza and Respiratory Syncytial Virus in the United States, 1993-20082)」で、米国の年齢ごとのインフルエンザとRSV感染症の入院率(人口10万人あたりの年平均入院者数)が比較されている。1歳未満の場合、インフルエンザでの入院が91.5人なのに対し、RSV感染症は1760.7人と、実に19倍以上の差があるのだ。

RSV感染症に特効薬はない。ワクチンはあるが、対象者は高齢者か妊娠中の女性に限られる。妊娠中に接種しておけば生まれてくる子供に対して予防効果が得られるが、早産のリスクを懸念する声もあり、現時点では広く普及しているとは言えない。よって、乳児に使える抗体製剤は大変ありがたい存在だ。日本で2002年に登場したシナジス(パリビズマブ)は優れた抗体製剤だが、50mgで5万348円、100mgで9万9284円と薬価が高いことに加え、月に1回の頻度で合計8回ほど投与しなければならない。また、適応がかなり狭く、先天性疾患や免疫系の基礎疾患などがなければ保険が適用されない。自費でも受けたいという保護者もいるかもしれないが、合計で100万円以上もの費用がかかる薬を希望する家庭は少数だろう。

そんな中、2023年7月、米食品医薬品局(FDA)はベイフォータスを承認した。シナジスとは異なり、シーズン中に一度注射するだけでいい。しかも米国小児科学会によると、価格は50mgでも100mgでもわずか519.75ドル、1ドル143円で計算すると約7万4000円と、日本でのシナジス使用時に比べ10分の1未満の価格設定だ(外部リンク:米国小児科学会)。そして、米国に在住する小児のほとんどが希望すれば無料でベイフォータスが使えるという(外部リンク:サノフィ)。

米国から遅れること10カ月、2024年5月、日本でもついにベイフォータスが登場し、大勢の乳児に接種できるようになることが期待された。しかし発表された薬価は50mgで45万9147円、100mgなら90万6302円と驚くほど高額だ。繰り返すが、米国では50mg、100mgともにわずか519.75ドルなのだ。これだけの薬価差があるのは明らかにおかしい。だから僕は、米国で安いのはきっと米国政府が助成しているからだろうと考えた。

須崎市で無料提供できるワケを考察する

Valerii Evlakhov/stock.adobe.com

そして2025年4月、高知県須崎市が「希望する乳児全員にベイフォータスを無料で供給する」と発表した(外部リンク:高知新聞 2025/4/3)。同市ではこの費用をどうやって捻出するのだろう。須崎市の人口を調べてみると、2023年の出生数は74人というデータが見つかった(外部リンク:総務省)。仮に無料投与を70人の乳児が希望するとすれば、費用は薬価だけで90万6302円×70人=約6340万円(ベイフォータスは体重5kgを超えれば100mgを使用する。2カ月程度で5kgに届くだろうから、大半が100mgを使用することになると予想される)。ここに医療機関での人件費や諸費用がかかる。ところが、高知新聞は「市は2025年度一般会計当初予算に購入費用や投与委託料など計398万円を計上」と報じている。90万円以上もする薬を398万円の予算で賄うのであれば対象者はわずか4人になってしまう。須崎市はどのような奇策に打って出たのか。

その答えは同じ記事に書かれていた。ベイフォータスを販売する会社が「欧米並みの価格で市に販売」するというのだ。これを僕なりに製薬会社の立場から“意訳”してみよう。

「我々は欧米には安い値段で販売している。実際、米国では薬価が100mgでも519.75ドルでしかない。しかし、日本ではどういうわけか厚生労働省が100mgで90万6302円という驚くほど高い薬価をつけてくれた。そのおかげで通常の保険診療ではもうかって仕方がない。須崎市の乳児の人口は70人程度だから、全員に欧米と同じくらい安い価格で販売しても痛くもかゆくもないのだ……」

なぜ厚労省は驚くほど高い薬価を付けたのか。おそらくシナジスに合わせたのだろう。シナジスの薬価は100mgで9万9284円。100mgを8回接種するとすれば約80万円だが、体重増加につれて使用量が増え、実際の薬価は100万円を超えることも多い。シナジスの価格と合わせるためにベイフォータスを米国の10倍以上という極めて高い価格に設定したのではないか。

ベイフォータスがシナジスよりも費用対効果が優れた抗体製剤であるのは自明だ。安くて効果が持続するのだから。実際、米国には「シナジスは費用対効果が悪いのでベイフォータスに切り替えていくべきだ」とする医学論文3)もある。安くて使い勝手のいい新しい薬が古い薬に取って代わるのは当然ではないか。しかも、解せないのはシナジスもベイフォータスもアストラゼネカが製造販売元であることだ。新薬が他のメーカーから発売されたのであれば、古い薬を販売している製薬会社の立場も考えて……、となるのかもしれないが、同じ会社なのだからアストラゼネカが全面的にシナジスからベイフォータスに切り替えれば経営的な損失も起こらないはずだ。

※ベイフォータスは製造販売元がアストラゼネカ、販売元がサノフィ。

実はベイフォータスが日本で登場したとき、僕は日米の価格差に疑問を持ったため、2024年7月に別のメディアにコラムを書いた(外部リンク:毎日新聞 2024/7/8)。「日米で10倍以上の価格差があるのはおかしいではないか」、あるいはもっと単純に「日本の薬価が高すぎる」という声が識者から上がらないことを不思議に思い、社会への問題提起のつもりで書いたのだが、このコラムに対する反応はほとんどなかった。

現在我が国では、高額療養費の上限引き上げについて激しい議論が展開されている。医療費の増大を防がねばならないことは僕にも理解できるが、「引き上げ」には断固反対する。ただでさえ多くない収入から医療費を工面しているところに、上限を引き上げられれば支払いが困難となり治療を中断せざるを得なくなる患者もいるのだ。「引き上げ」の前にすべきことがあるのは自明であり、薬価の見直しはその最たるもののひとつだ。「ベイフォータスの薬価をすぐにでも見直すべきだ」と強く主張したい。

今、日本の医療が崩壊に向かっている……。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。